悦楽

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 初めて恍惚を知ったのは、小学校低学年のことだった。当時流行っていたカードゲームをコンビニからくすねるという犯罪が頭に浮かんだとき、私はそれに例えようのない魅力を感じたのである。「イケナイコト」と知らなかったのではない。どうしても欲しいが金がなくやむにやまれなかったのでもない。むしろ、「どちらでもない」ということが私を魅了する最大のものですらあった。
 その魅力的なことは果たされなければならなかったが、為すのは相当に難しいことだった。店に入るなり標的を手に取り去るわけにはいかない。無為に店内を歩き回った後に手ぶらで出るのもまた怪しい。時間を潰す術を持たない子供にとって最大の難関はその「間」だったのである。自然に店内に滑り込み、さりげなく近づき、何食わぬ顔で出ていく、自然体の動きが必要とされていた。もちろん、捕まっても大事にはならないという確信はあったが、私の中で白刃のように煌めいていた行為が途端に赤く錆びついてしまうことはわかりきっていたのだ。
 幸運にも、私に備えられた最高の才能はまさにその自然体であった。さらに私は善良そうに見せることにも秀でていた。私はそれらの才能を如何なく発揮してカードを盗み出すと、しかししばらく歩いた後に河原で破り捨てた。湧き始めた愛着が、私が祀る美というものを貶めると悟ったからである。最も美しいのは背徳であり、物欲や歓喜は削ぎ落とさなければならない腐食でしかなかったのだ。
 あの日、私は至上の悦楽を味わった。代わりに、いかなる行為もあれ以上の恍惚を与えなくなってしまった。今腕の中で震えているこの小さなイキモノも、代わり映えのしない赤色を吹いて私を満たしはしないのだろう。早く刺し殺し次を選ばなければなるまい。私の才能をもってすれば、ハメルンの笛吹きよろしく背徳の幼子はいくつでも私についてくるのだから。


私について
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