Wolf

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「『水を飲もうと川を覗き込んだオオカミはお腹の石が重くて落ちて溺れて死んでしまいました。『オオカミが死んだ! オオカミが死んだ!』子ヤギたちは喜び踊りまわり、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。』……どうだった? 麻智?」
 美月弥生は絵本を閉じて妹を見る。まだ三つになったばかりの妹は実に可愛らしい寝顔を無防備にさらしながらスヤスヤと寝息をたてていた。いつものことだ。自分でお話をせがんでおきながら終わりまでもたずに眠ってしまう、小さい子にはよくあるお昼寝の前の時間。弥生は小さく笑って妹に布団をかけてやる。
「……え?」
 何か声が聞こえた気がして、彼女は振り返った。しかしそこには誰もおらず、先ほどまで読んでいた『おおかみと七匹の子ヤギ』の絵本が置いてあるだけである。
『めでた……し……?』
 弥生はどうもその本から声が聞こえてくるように思い、ゆっくりと近づいてみた。
『めでたし……だと!?』
 唸るような声とともに、視界が真っ白になる。強い閃光が目を焼いたのだ、そう気づいたのは光がおさまってからだった。
 そこには、オオカミが立っていた。絵本によく見られるような、二足歩行でベストだけを羽織った少しコミカルな姿のオオカミ。弥生は驚くことも忘れて見つめる先で、オオカミは緩慢な動作で本棚に目をやると、眉をひそめた。
『グルゥゥ……………ヴァウウウウゥゥッ!!!』
 まるで、そこにいる何かを呼び起こそうとしているかのように、オオカミは低く、深く、吼えた。弥生はその『呼び起こす』意図を敏感に感じ取り、焦った。
 麻智が起きてしまう!
 彼女はためらわなかった。相手は限りなく非常識的な存在であったが、いや、あまりにもリアリティに欠けていたからこそ、通常では考えられない選択をとった。これが、マシンガンでも構えたリアルな殺人鬼だったなら、彼女は動けなかっただろう。だが、弥生はオオカミに立ち向かった。何を差し置いても、大事な妹の安眠を守るために。
「ちょっと! 静かにしてください! 妹が寝ているんです!」
『あぁん?』
 弥生がオオカミの背中を叩き、怒鳴ると、オオカミはヤクザ者のような反応とともに首だけで振り返り、弥生に気付いて牙を剥いた。その目には、確かな憎悪。
『お前………《めでたしめでたし》って言った女だな?』
 弥生は答えられなかった。オオカミも答えは求めていなかった。何も言わなくても、わかっていた。ただ純粋な殺意でもって、弥生を殺そうと体ごと弥生に向き直る。
《殺す》
 ただそれだけの意志で、他には何も感じず、何も思わず、何も言わず、その鋭い爪でもって彼女を引き裂こうと腕を振り上げる。
 弥生はただ見ていた。怖かったわけではない。怖くなかったわけではない。 
《このオオカミは私を殺そうとしている》
 ただそれだけを理解して、その他には何も感じられず、何も思えず、何も言えず、その爪が振り上げられるのを見ていることしかできなかった。彼女の現実への理解は、その程度までしか追いつけなかった。
 目は瞑れなかった。だからじっと見ていた。先端恐怖症ならずとも血の気が引くような爪の鋭さも、それが振り下ろされて来るのも、爪と自分の間に誰かが入ったのも、その誰かがオオカミの腕を受け止めるのも。
「か弱い女の子にそんな乱暴はいけませんねぇ………うん、紳士的でない」
 その誰かは受け止めた腕を弾き上げ、一動作でオオカミを吹っ飛ばした。声の感じから察するに男。年齢は高校生か大学生、弥生と大差無さそうである。背はそこまで高くなく、百七十ちょっとだろうか。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
 振り向いた顔は意外と幼く、高校生だと確信する。弥生は問いに首を振り、目の前に立つ青年を観察した。白いシャツに黒いズボンとシンプルさを追求したような地味な上下、埃に汚れた深緑のエプロン、黒い髪にはバンダナ。ヒーローと言うよりも掃除中の人だ。そして、至極真っ当な疑問が顔を出す。
(この人はどこから入って来たのだろう……?)
オオカミは(これも信じられない事ではあるが)、本から現れたと考えるのが妥当だろう。だがこの青年は? 家の鍵は窓も含め全て閉めてある。侵入する隙間などない。それなのに、いったいどこから………?
そんな弥生の疑問を置き去りに、事態は加速する。
『ウォォオォオオォォォオンッ』
『グルゥウウォォォォオオォォ!』
 続けざまに吼え声が室内に響く。青年に飛ばされた奴のものとは違う声。それは、先程の呼び声に応えるかのように、本棚から発せられていた。青年はしかめ面で舌打ちをし、本棚に向き直った。本棚からはやはり白い閃光、一瞬の後には、新たに二匹のオオカミが立っていた。
『やれやれ、やっと出てこられた』
 そう言ったのは青いベストを着たオオカミ。オオカミらしくない知的な雰囲気を漂わせていて、不思議と伊達メガネが似合いそうな気がする。
『まったくだぜ。あぁー……腹減ったぁ……』
 黒いベストのオオカミが首をコキリ、コキッと鳴らす。こちらは対照的にいかにも凶暴そうなオオカミだ。二匹はこちらなどまるで意に介していないようで、黒いベストのオオカミなど小さく欠伸すらし、
『そんじゃ、行くか』
 青いベストのオオカミも頷いて二匹は壁に歩き出す。ひたすら混乱して立ち尽くす弥生の隣で青年が叫び、跳ぶ。
「待ちなさい!」
 しかし、彼の前に先程蹴散らしたオオカミ、赤いベストのオオカミが立ちふさがる。青年は右の裏拳でオオカミの即頭部を殴り飛ばすが、もう二匹のオオカミは消えていた。赤のオオカミは意地悪くニヤリと笑い、立ち上がる。
「まったく………余計なマネをしてくれましたね」
『ヒャヒャヒャ……ざまぁねぇな。都会に逃げた二匹のオオカミ、捕まえられるかな?』
 弥生には言っている意味がさっぱりわからなかったが、青年は不敵に笑ってみせた。
「あてがないわけじゃありませんよ。とりあえず君を戻します」
 言いながら青年はオオカミへと狭い室内を跳ぶ。オオカミの繰り出す爪を払い、左手で顔面を?むと、床に叩きつける。鈍い音と、くぐもった呻き声が室内に漏れる。青年はそのままオオカミを持ち上げ、壁に押し付けると、急に振り返った。
「お嬢さん、その本をとってもらえませんか?」
 お嬢さん、と呼ばれた弥生は青年の指す先を見る。そこには、『おおかみと七匹の子ヤギ』が置いてあった。
 なんだかわからないまま、言われた通りに絵本を拾い、青年のもとへ歩み寄る。オオカミはグタッとしたまま動かず、弥生はさっきまで殺されそうだったのも忘れてオオカミを可哀想に思った。
「その絵本を彼に、このオオカミに押し付けてください。説明は後でします」
「え?」
 輪をかけて意味のわからない質問にさすがに戸惑うが、説明は後、と言って青年は促すばかりである。仕方ないので絵本を、オオカミに当ててみる。と、熱いものが手の平を駆け抜け、痛みに弥生は反射的に目を閉じる。痛みがおさまって目を開いた時には、オオカミは消えていた。



「あれは、『おおかみと七匹の子ヤギ』に出てくるオオカミなんですよ」
 水無月純と名乗った青年は、こう続けた。
「彼も、逃げた二体も、物語の中の、オオカミなんです」
 物語の中に登場するキャラクターは、時に不満を爆発させて出てくることがあり、自分はそうして出てきたキャラクター達をもとの本へ返す、言わば本の整理をしている『司書』なのだと。そして、逃げた二匹を追うからついて来て欲しいとも。
「私が………ですか? なんのお役にも立てないと思いますよ?」
「いや、あなたじゃないとダメなんです。あのオオカミ達を本の中に戻せるのは、本の持ち主であるあなただけなんですよ」
 突然の主人公フラグに弥生が戸惑っていると、水無月は本棚を物色し始めた。そして、目当ての本を引っぱり出すと、弥生の前に開いて置いた。『三匹の子豚』と、『赤ずきんちゃん』。二冊の絵本には、いるはずのオオカミが写っていない。オオカミは、確かに逃げてしまっていた。
「お願いします、手伝ってください。危ない目にはあわせません。僕が、さっきみたいにぼこぼこにするんで、その後戻すのだけやっていただければいいんです」
 目の前にはオオカミのいない絵本。まず頭に浮かぶのは、麻智の顔。オオカミのいない絵本を麻智は楽しめるだろうか。いや、悲しむに違いない。
(それは、いやだなぁ……)
 弥生は迷わなかった。水無月から絵本を受け取り、水無月に微笑む。
「私、やります!」
「ありがとうございます。じゃあ、早速で悪いのですが……」


 井沢隆宏は散歩をしていた。大事な大事なペットと散歩するのが彼の老後の数少ない楽しみであり、唯一の習慣であった。ペットとは彼の隣を歩く黒い小さな四足獣、犬ではなく、黒の仔豚だ。本当は犬を飼うつもりだったが、たまたまペットショップで目にしたこの豚その輝く瞳に吸い寄せられて、即、購入した。
 しかし、彼と愛豚は過去最大の危機に瀕していた。突然二足歩行で黒いベストを来たオオカミ(にわかには信じがたいが、それは間違いなくオオカミだろう)が、彼らの目の前に現れ、言ったのだ。
『おう、その豚よこせや』
『よこせ』とは、言外に『食うからよこせ』ということだろう。井沢は懸命に首を振った。オオカミはイライラした様子で牙を剥き、じりじりと近づいてくる。
『いいからよこせや、なぁ、腹減ってんだよ。親切だと思ってさぁ……』
 井沢は覚悟を固めた。可愛い可愛い愛豚だ。ただ食べさせるのは癪だ。すこしくらいは抵抗してみせる。脇を締め、拳を握る。格闘経験などないが、人間の、大人の意地を見せてやる。
 近寄るオオカミに向かい、踏み出そうとしたその刹那、
「はっ!」
 井沢とオオカミとの間に青年が入り込み、オオカミに掌打を叩き込んだ。青年は小さく舌打ちをし、次々と拳を繰り出していく。ただただ」呆気にとられる井沢に後ろから声がかかった。
「井沢さん! こっちに!」
 近所に住む美月家の長女、名前は弥生ちゃんだったか。何故か脇に絵本を抱えている。弥生につれられて井沢は豚と共に避難を終えた。何事かと問いただすべく井沢は弥生に向き直ったが彼女のあまりに真剣な、有無を言わさぬ様相に、彼は質問を諦めざるをえなかった。きっと答えてはくれないし、仮に答えてくれたとしても、到底理解できる事ではないと、悟ったのだ。
「離れていてください。絶対に、豚ちゃんを連れてこないでください」
 そういって彼女は青年のほうへと駆けていった。


 水無月は幾打かのやりとりを終え、オオカミと距離をとった。
『けっ……随分と早かったじゃねぇか。あぁん?』
 オオカミの問いに水無月は不敵に微笑んでみせた。脳裏に先程のやりとりが浮かぶ。
『早速で悪いのですが、この辺に養豚場はありますか?もしくは、農場とか。とにかく、豚のいる場所を教えてください』
『養豚場……はないですね……。隣の市にならありますけど』
『隣の市………遠いですね。他に豚のいそうな場所なんて…ないですよね』
『どうして豚を探しているんですか?』
『逃げたオオカミの片方は『三匹の子豚』ですよね。『三匹の子豚』のオオカミは、豚が食べたいわけですよね。だから、もしかしたら、と思いまして』
『そうですね……あぁ! たしか井沢さんの家で黒豚ちゃんを飼っていたような……』
(しかし……面倒だな………)
 水無月は心中で顔をしかめた。弥生にはぼこぼこにするなどと大見栄をきったが、正直なところそんなに楽な話ではない。さっきの『おおかみと七匹の子ヤギ』に出てくるオオカミと、この『三匹の子豚』のオオカミは違う。
 物語自体を想像してもらいたい。『おおかみと七匹の子ヤギ』のオオカミは、言葉巧みにヤギたちに中から鍵を開けさせ、彼らを食べた。そののち、寝ている間腹を捌かれてしまう。
 しかし、同じく家に閉じこもった獲物に対して『三匹の子豚』のオオカミはどうだろうか。わらの家に閉じこもられれば吹き飛ばし、木の家に逃げ込めば体当たりで突き破る破壊力。その間休む事なく走り続ける無尽蔵のスタミナ。レンガの家を壊せなければよじ登って侵入せんとする行動力。前者とは全く対照的な、超攻撃型のオオカミなのだ。
 水無月は次々と迫る爪を紙一重で避けていくが、避けきれずに髪の毛が少しずつ散る。懐に潜り込んで拳を打ってみても、最初同様全て防がれてしまい、有効打を稼ぐことができない。しかも、相手の間合いに居続ければ暴風雨のような攻撃に身を削られていくくせして、自分の拳の」間合いはその内側にあるときている。水無月は一旦間をとって大きく舌打ちをした。
 オオカミは余裕の笑みを浮かべ、誘うように手招いてみせた。
(やっぱり、あの間合いでは不利か。なら……)
 跳躍、オオカミの間合いの僅かに前。自分の間合いにおさめようと踏み込んでくるオオカミに対し、身を捻りながら水無月はその鼻先に蹴りを置く。オオカミの爪は届かず、その顔が跳ねた。膝下の動きで軽くもう二、三発顔面に蹴りを当てると、オオカミは呻きながらよろめき、後退する。
 追って踏み込みながら軸足を入れ替え、回し蹴り。顔を引いたオオカミに対し、蹴りの勢いそのままに空中で回転、跳んだ軸足の踵を側頭部に叩き込むと、オオカミはアスファルトを転がった。
「もう、いいかな。それとも君、まだ動けますか?」
 水無月の問いかけに対し、オオカミは目を怒らせて立ち上がり、大きく息を吸った。そして、彼が身構える前に吐き出した。
 風が、いや、突風がコンクリの上を駆けた。わらの家を吹き飛ばすような暴風は、ちっぽけな人間一人を軽々と吹き飛ばし、電柱に叩きつけ、息を詰まらせて崩しかかる。水無月が顔をあげた時には、オオカミの爪が鼻先まで迫っていて、咄嗟に頭を下げると、彼の上で電柱が折れた。腹を蹴り飛ばし、跳ね起きる。
 オオカミは再び息を吸い込み、水無月が動き出すよりも前に、放った。
 先手を取られた瞬間、水無月は横移動を諦めてその場に腰を下ろした。風に押され、電柱の根元に押しつけられて背骨が軋んだが、先ほどのような大きなダメージは回避する。そして風が止むのと同時にアスファルトを蹴り、オオカミが息継ぎをする間に、顔面にドロップキックを炸裂させた。
「弥生さん、本を」
 弥生は駆け寄り、本をあてる。手のひらに鋭い痛みに似た熱がはしる。
『ちく……しょう…俺は………』
「え……?」
 聞き返した言葉は届かずにオオカミの姿は消え、言葉は空気に溶けていった。
「次、行きましょう」
 彼には何も聞こえていなかったのか、淡々と水無月が告げる。
「次は、『赤ずきんちゃん』のオオカミでしたっけ」
「えぇ、そうです。だから………」
 水無月の表情が凍りつく。怪訝そうに覗き込んだ弥生に、水無月は目的地を告げた。



 美月麻智は布団の中で穏やかな寝顔を浮かべていた。オオカミが吠えても、青年とオオカミが乱闘しても起きなかった幼女は、今も幸せそうに眠っている。
 その幼女に影が落ちた。暗い目をした、青いベストのオオカミ。オオカミは口を開いたり閉じたり、しゃがんだり立ったりと落ち着き無く動いていたが、やがて再び幼女の横に立ち、大きく口を開くと、ゆっくりと、
「その子を食べてなりすますつもりですか? おしめでもしますか」
 振り向くと部屋の入り口に、水無月と弥生。オオカミは皮肉げに笑った。
『それは遠慮しようかな。僕にも恥じらいがある』
 ゆったりと、オオカミは向き直った。闘う意志は感じられず、だらんと立っている。
「おとなしく、戻ってもらえますか?」
『戻らないと言っても、力ずくで戻すのだろう?』
 またも皮肉げな笑み。そして、言葉を紡ぐ。
『力ずくで、叩きのめして、『この話』はハッピーエンドなのだろう?』
「どういう意味ですか」
 弥生の問いに、オオカミは嗤った。
『君はよくわかっているだろう?
『『水を飲もうと覗き込んだオオカミはお腹の石が重くて落ちて溺れて死んでしまいました。『オオカミが死んだ! オオカミが死んだ!』子ヤギたちは喜び踊りまわり、幸せに暮らしましたとさ。』
『めでたしめでたし』
だろう?』
 今日読んだ話しの終わり、このわけのわからない騒動の始まりの一節に、弥生は眉をよせた。
『『煮えたぎる鍋に落ちたオオカミは、そのまま焼け死んでしまいました。子豚達はオオカミをすっかり食べてしまいました』
『起きたオオカミは逃げようとしましたが、お腹の石がゴロゴロして、数歩も歩かないうちに倒れて死んでしまいました』
……『めでたしめでたし』だろう?』
「自分たちの話のラストを並べて、何が言いたいんですか」
 ポカンとする弥生の代わりに投げられた水無月の低い問いかけに、オオカミは小さく首を振った。
『そのままの意味だって。僕らがやられるのが、死んだりすることが、『めでたしめでたし』なんだろう? けどさ、聞きたいんだけど、いったい何が『めでたい』のかな?』
 弥生は口を開きかけて、何も言えなかった。何が『めでたい』のか?
『オオカミは死に、豚や、ヤギや、人間は生きた。だから『めでたい』のか? それは、僕らがそれらを食おうとしたから? 僕らが『悪』だから? 獲物を捕ろうとすることは『悪』か? 結果返り討ちにあって死ぬことは妥当か? じゃあ、僕らはどうやって生きればいい?』
 弥生は言葉に詰まる。オオカミの言うことに反論できない自分がいる。
 もし、精肉用の牛が暴れて農場主を殺したらどうなるだろう。それは、『殺そうとしていたのだからしょうがない』だろうか。いや、ありえない。『殺人牛』は『殺人牛』として殺されるだろう。あるいは、『人にたてついた』なんて言われるかもしれない。
オオカミが言ったのはこれと同じだ。『めでたしめでたし』という言葉は、一方的な『悪』と『正義』を作り上げた。
「……君の言いたい事はわかります。でもね、君たちに食べられてしまったものたちがいたら、彼らにとっては『めでたし』じゃない。始まった物語を終わらせるには、誰かが幸せであるか、みんな不幸かしかない。『オオカミ少年』を読んでみなさい、少年は食べられ、オオカミは死なない。たまたま君たちは『少年』だっただけなんですよ。それは、仕方のない事なんです」
 冷やかに、水無月はオオカミの言葉を斬り捨てた。暴力的な言葉で叩き斬ったと言ってもいい。けれど、弥生には見えた。水無月がとても悔しそうに顔を歪めているのが、自分の言葉を憎み、嫌悪しているのが。
 オオカミは悲しそうに床に座り込んだ。そう、悲しそうだった。弥生は、他の二匹のオオカミも同じ表情だったことに気付く。そして、水無月も同じ表情なのだと。
 何も言わずともわかる。このオオカミに敵意はない。本に戻す事は容易く、みんながそれを望み、それが正しいのだろう。
 弥生はゆっくりとオオカミに歩み寄った。勿論、戻す。だけど、
「私が、私が……作ります。オオカミも、子豚も、ヤギも、人も、みんなが『めでたしめでたし』で、終われる話を。絶対に」
 オオカミはチラリと弥生を一瞥し、言い捨てた。
『馬鹿だな。その話ができたって、僕たちは幸せにはなれない。『めでたし』にはなれないよ』
 弥生は目を伏せ、言葉を探す。何もしないなんて、自分にはできない。
 オオカミが本に触れる。弥生のもとへ自分から手を伸ばして。
 弥生の手にはしる熱。はっと顔あげた弥生を、オオカミは見向きもしなかった。けれど、消える前に確かにこう呟いた。
『書けよ』
 今度は空気に溶ける前に、弥生はしっかりとつかみとった。



「『こうして、オオカミと子豚とヤギたちはおんなのこと一緒に楽しく暮らしました。めでたしめでたし。』………みんな、楽しかった? この絵本、先生のお姉ちゃんがかいたのよ」
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