電波ジャック

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 ――聞こえてないんだよね
 そうとしか考えられない。だって君をこんなに呼んでいるし、大好きだって、焦がれ、叫んでいる。それなのに君はいつも違う景色を見ているみたいで、こちらには触れようともしなければまっすぐ見ようともしない。苦しんでいるのは全部君のせいなうえに解決できるのも君だけなのだから、ちょっとくらいは助けてくれてもいいと思のだけど。あぁ、そうやってこっちが不安になっていることも知らないんでしょう? だめなやつ。


「なに、にやにやしてんの?」
 頬杖をついたまま、俺はしかめ面を作ってみせた。幼なじみである美倉薫子の顔がゆるみきっているのは珍しいことではないが、それでも目の前の彼女にツッコまずにいるのは俺にとって至難の業だったのだ。
「んー? 別にちょっとねぇ」
 薫子の矛盾した返答には心中でツッコミをいれつつ、回答の追求を早々に放棄する。気分屋、という陳腐な言葉では追いつかないほどに奔放な彼女を追いかける徒労は、十六年という短い人生でも十分に感じていた。前の席から椅子ごと身体をこちらに向けた薫子はやけに上機嫌で、君子危うきに近寄らず、薫子危険につき近寄らぬという俺の信条は今日も達成しそうもない。まったく、上機嫌なこいつほど先の読めないものはないだろう。油断していたら嵐の直撃を食いかねない。
「てぃあーも」
 唐突に薫子の口から発された呪文に再び眉根を寄せる。全く聞いたことがないわけではないが、どこで聞いたかも意味も漠然とすら思い出せない。そんな俺の表情を読み取ってか、眼前の少女は失望の表情を浮かべて首を振る。
「しぇーも」
 再び発された異言語も意味は知らないが、その口振りから侮辱のがは感じ取れ、抗議しようとした瞬間に時間切れと言わんばかりにチャイムが鳴り響いた。大袈裟にため息をついてわずかに舌を出した薫子が背中を向ける。取り残された俺は、慌ただしく席に戻ってきた友人を捕まえてみた。
「なぁ彩野、てぃあーも、ってなんだっけ」
 きょとん、とした少年はすまなそうに首を振るだけで答えは持っていなかった。こういう時に頼りになる友人、伊沢聡司が教室の後方に座っていることは知っている。だが、聡司はレベルが高すぎるあまりこの程度のことで頼ることは躊躇われるし、これが薫子の放った言葉である以上、自力でなんとかするしかない。試しに携帯で検索してみると楽器屋がトップにあがっており、俺をより一層混乱させた。
 知りたい、その欲求に火がつく気配に俺は身震いした。一度燃え上がってしまったそれを鎮火できるのは正解だけで、解答を得るまでは俺のベクトルはそこ一本に固定されてしまう。通常運転の道筋から強引に行き先もハンドルも奪われてしまい、修正なんてきかなくなるのだ。幾度となく薫子の言動によって炎上してきたことをあいつが知らないはずもなく、謎の呪文攻撃は故意に違いない。
「ばーか」
 知らないはずがない。だがその理由をわかっているはずもないから、俺はそっとつぶやいた。


 担任教師の連絡を聞き流しながら、わたしは唇を噛んだ。背後の幼なじみ、柚木蒼一郎はなにかを察した風もなくただうんうんと唸っている。責任は異国の言葉を伝えた自分にあるものの、この男のの無知と鈍感さはわたしをいしかめ面らつかせるには十分なわけで。
 顔をしかめるわたしとは反対に、隣りで友人が鼻歌でも歌い出しそうなほどににこやかに笑顔を浮かべていて、不振に思ってそっとメモ用紙にメッセージを載せて託す。
「さき、どうしたの?」
 シンプルなわたしの問いに対して、喜々とした様子で書かれた返事には音符がつかんばかりに踊る文字。
「墨原くんたちとえーが!」
 墨原朱鞠といえばわたしたちのクラスで、というより学校全体で群を抜いた美少年であり、彼のせいで今年度のバレンタインデーは相当な混雑が予想されている。教師の話そっちのけでペン回しに励む沙姫も、数日前まで彼にご執心だったのも知っている。
「伊沢くんはどうしたの?」
「もちろんいっしょだよー!」
 添えられた笑顔の顔文字を見ながら、伊沢君に対する同情が溢れてきた。ここ数日、沙姫と伊沢君は大変仲良くしていたはずで、嬉しそうな彼を見て、天才少年も人間味があるものだとしみじみしていたというのに。
 伊沢君だって頭がよくて気が利いて、失礼な話だけど彩野君なんかに比べれば十分に「イイオトコ」だとは思うのだけど、墨原君相手じゃ分が悪い。それでも沙姫の好意を数日間とはいえ墨原君から向けさせたのだからやっぱりすごいわけで。
 わたしも、蒼一郎の気持ちを向けさせることができないものだろうか。あいつは熱中癖があるくせに、その興味はいつだってわたし以外のどこかにいってしまう。好きも嫌いも、わたしを見てやしないかものかもしれない。いっそ蒼一郎の心の中を覗いて、わたしへの好意が一片もないのを確かめて諦めることができたら楽だろうに。いつまでも片想いの牢獄なんてゴメンだ。
「Ti amo」
言葉の意味が伝わらなければ意味がないとわかっていても、悟られないように言葉を選んでしまう。頭一つ分大きい幼なじみがフリーズしている間の表情を盗み見て、気持ちを探りに行く。でもひょっとしたらわかってくれるかもって、気づいてくれるかもって、軽く期待なんかしちゃったりして。
「どーすればいーのよー……」
 その絶妙な加減の言葉を探してはいるものの、うまく蒼一郎にピタリとはまるものが見つからない。もしいつか蒼一郎がわたしの投げつけているものの意味を理解したら、わたしはあいつの気持ちを盗みとれるだろう。ほんの一瞬、あいつが固まる一瞬がああればわたしはこの檻から脱出できる。でも、その先になにがあるかなんて全然わからないのだけど。


 帰り道、夕陽の中に蒼一郎の背中を見つけたのは、その日の放課後のこと。手芸部のわたしと違って、陸上部の蒼一郎がこの時間に歩いてるなんて珍しく、駆け寄って背中を叩いてみる。一瞬、阿修羅のような顔で振り向いた蒼一郎は犯人がわたしとわかると露骨に嫌そうな表情に変わって目を逸らした。そんなに強く叩いたかな?
「今日って陸上部休みだっけ?」
「いや、図書館行ってたらこんな時間になってた、から、サボった」
 麻生センパイに怒られるかなー、なんてぼやく蒼一郎の顔には、悩んでます、と思い切り書いてあって、それがセンパイ云々のせいでないことは一目瞭然だった。むずがゆくてもう一発背中を叩こうと振り被った瞬間、隣りの身体が回転する。
「お前…あれ、あー、本気なのか」
 歯切れ悪く投げかけられた質問の意図がわからずにわたしは首をかしげた。本気って、なにがだろう。蒼一郎は時々こういうわけのわからないことを言うことがある。真剣な顔でズレたことを言うものだから、わたしは蒼一郎がより一層愛おしくなってしまう。
「Ti amo」
 不発に終わったパスワードをもう一度打ち込んでみる。例えロック解除とならずとも、蒼一郎への想いでパンクしそうなわたしの心から、いくらかはガス抜きしてくれるから。でも、金色の夕陽のせいで陰った顔からはなにも読みとれず、輪郭が少し揺れるばかりで、わたしの心は満たされっぱなしだった。だからもっと大きく、穴を空けてみる。
「嫌いじゃないよ、蒼一郎」
 影が揺れる。しまった、と思ったときには言葉は漏れた後で、わたしらしからぬ正面切った変化球はさすがにストライクゾーンだろうと、表情を盗み見る。
「別に、俺もきらいじゃない、っていうか、」
 照れたように頭をかいてぶつぶつと言う蒼一郎に驚きの色は見えず、これもまた不発なのかと不満が募る。それとともに抜けなかった愛情が一気に爆発した。もっとちゃんとわたしを見てよ、気づいてよ。わたしの言葉も、蒼一郎の言葉も届かないのなら、
 両手が伸びて、蒼一郎の後頭部を捕らえる。引き寄せながら、わたしも背伸びをする。近づいてくる瞳が揺れて、ようやく驚きが見えた。そして、


 なにが起きたかわからなかった。言葉を選びあぐねている間に俺の頭は捕まっていて、抵抗する暇もなく重力方向へ引っ張られた。薫子の顔が近づいて、そして、眉間に鈍痛が炸裂した。
「…ってぇ……!」
 視界が一瞬赤く染まり、思わずたたらを踏む。薫子の頭突きがクリーンヒットしたのだと気づいたのはそれからだった。顔をおさえながら恨めしく視線をさまよわせると、驚きながらも吹き出しそうになっている薫子にぶつかる。途端、我慢の限界なのか薫子が笑いだした。
 まただ。こいつの言動にまた振り回されている。図書館を徘徊して「Ti amo」の意味を調べあげたと思ったらこれなわけで、こいつの気持ちを知ろうとしてのぞき込んでも、引きずり込まれるだけになってしまう。ならば、俺が占拠しにいくしかない。
「薫子」
 まだ笑い続ける幼なじみの名前を呼ぶ。
「なになに、わたしのことだいすきって?」
 笑いながらどこか投げやりに答えた薫子に俺は躊躇いなく返す。
「あぁ。大好きだよ」
 なにが気に入らないのか、薫子は笑うのを止めて俺を睨みつけた。自分で聞いておいて不満を露わにするとはいったいどういうことだ?
「そんな適当に返事しないでよ」
 ふくれっ面。適当もなにも、もう散々考えてきたさ。俺が夢中になると他のことを考えられないのはよく知っているだろう。ずっとずっと、お前に近づこうと必死だったのに、気づかなかったのはそっちじゃないか。まるでチャンネルが違うみたいに、俺の気持ちは一切届いてなかったんだ。
「ほんと、わかってないな」
 思っていたより感情をむき出しにするらしく、正面から見つめるだけで薫子がむっとしたのが手に取るようにわかった。案外簡単なことだったのに、ちょっと遠回りしすぎていたみたいだ。
「愛してるって、言ってんだよ」
 夕陽より赤く、薫子の頬が染まるり、うなり声のような音を発しながら俯く。
「Scemo!!」
 罵声とともに拳が飛んでくる。受け止めた、と思ったら全身が倒れてきて、今度は胸に頭突きを食らった。
「ごちゃごちゃとかっこつけてるヒマあるなら、行動で示してよこのチキン!」
「おま、俺だってなぁ、恥ずかしいとかあるんだぞ!」
「うるさいばかばかばかばか!!」
 横暴にもほどがあるだろう。薫子はまだなにやらわめきながら胸の中でじたばたしており、どうなだめたものかと俺は戸惑い、とりあえず肩を掴んで引き剥がしてみる。見下ろした彼女の顔はあからさまに不満げで、俺の思考は回転し始める。
(拗ねてる……?)
 あぁそうか、抱きしめればよかったのか。肩に置いた手を一度外してから、そのことに気づく。その行為に及ぶことを考えて、恥ずかしさに俺は硬直した。その一瞬に、
「スキあり」
 腕の中に納まっていたはずの身体が伸びる。俺と薫子の世界が繋がって、真っ赤になりながら自信満々にどや顔して見せた薫子がべっと舌を出して駆けていく。どうやら俺は、まだ彼女に振り回され続けるらしい。
「いい加減、操縦返せ」
 ひとことだけ捨てぜりふを残し、俺は金色に染まったアスファルトを強く蹴った。
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