P-Life

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 うつ伏せになった長い黒髪の頭に載ったピンクのヘッドフォン、自習室に入った僕を迎えたのは今週もそれだった。月曜4限空き時間の居場所をここに決めてからというものの、これを見なかった日はない。
(暇そうでうらやましいねぇ……)
膨らんだりしぼんだりを規則的に繰り返す背中を見ていると、悪態と一緒にインスピレーションが沸き上がってくるような気がして、ノートパソコンを開きながら横目に盗み見る。桃色のカーディガンを纏って丸めたその身体はまるで珍種のアルマジロのよう。それなのに、硬いはずの背中はやけに柔いように見えた。
パソコンに目を戻して操作を加えると、前見たときからあまり増えていない数字が僕のため息を誘う。「再生数」という文字の右側の数字は4桁ちょっとのまま不動で、過去作品に漏れずランキング圏外が定位置だ。今回はちょっと自信あったんだけどな。
パソコンにイヤホンを差し込んで横向きの三角をクリックすると、アコースティック調のギター音に続いて、電子姫が歌い出す。
『キミの傘をみつめてた 濡れる窓の内側から』
自分の紡いだ言葉がそのまま流れている気恥ずかしさはぐっと我慢、あれこれと脳内修正を加えながら画面を流れる文字に目を凝らす。よく言われることと、よく言ってもらえること、自分で気づかなかった部分と、自分の考えと違う部分。実際数の不明なリスナーの声を頼りにそれらを抽出していく。
「新作うぽつです!」「いつも聴いてます!」
流れてくる雑多なコメントに紛れ込んだ応援コメントが気持ちを奮わせる。こうした固定リスナーの存在がいつも自分の投稿を後押ししてくれているのは間違いない。作り手冥利に尽きるというものだ。
一通りの作業を終えた僕は歌声合成ツールを起動、歌姫に整列途中のおたまじゃくしたちをなぞらせながらその位置を微調整してラインを整えていく。詩の乗っていないただの有声音は耳心地よく、いつもここに言葉を加えるのを僕はためらってしまう。
そこに書き込むための言葉は別ウィンドウで開いたワードファイル。そこに打ち込まれた文字どもを眺めて一呼吸、一斉に削除する。
(なんか、気に入らないんだよなぁ)
曲調に合わない、世界観が乱れている、言葉が稚拙、数え上げれば原因はいくらでもでるのに、それが理由かと言われてしまうと首を捻ってしまう。いっそハミングでアップできたらと思うけれど、それもなにか違うのもわかっている。もっと衝動に動かされて、あふれ出るものを書き殴りたいのに、刺激が足りなくて。授業終了のチャイムが歌姫の声に割り込んで、僕はパソコンをシャットダウンした。


レポート課題が思ったよりも捗って、いつもより少し早く出られた教室から自習室に向かう。最近出来た新しい校舎に備え付けられたエスカレーターを歩いて上れば倍速気分で、階と一緒に気持ちも高まる。今日こそはあの曲に合う詩を書かなければと急ぎ足も加わって、気持ちの上では三倍速のアニマートだ。
「ほんとーっ? すごいねー!」
「そうかなぁ? ありがとっ!」
数段先の通行止めに、トントントン、とリズムを刻んでいた足が止まる。キャイキャイと話す小柄な女の子と、にこやかに相槌を打つ長い黒髪の少女。二人仲良く並んで立たれちゃ通り抜ける隙間なんてない。急なテンポダウンが生む不協感に眉を寄せながら、彼女らを刺激しないようにおとなしく待つ。
「わたし、自習室行くからまた今度ねー」
長髪の方が手を振って僕と同じ目的階でエスカレーターを離れる。なにとはなしに眺めたその横顔は会話中とは180度ひっくり返り、疲れが全面に浮いていた。2人は友達だと思ったけど、そんなに仲良くないのかもしれない。
目的地が同じだから、自然と背中を追いかける形になる。黒髪を垂らして歩く少女の背中が硬く、なにかを拒否するように張っていたせいで臆病な僕の急ぎ足はどこかに隠れてしまってアダージョどころかレントの有様だ。
少女に遅れて入った自習室、僕を迎えたのはいつもの、そしてさっきまでも目の前にあった背中だった。緑色の背中は今日も珍種のアルマジロ、歩き姿からは想像もつかない柔らかさを持った曲面にどこか拍子抜けしてしまう。そこに触れて確かめたくなって、慌てて自分の定位置に腰を下ろした。
ノートパソコンを起動しているあいだに彼女がトモダチとの会話にあわせて笑っていた顔が目に浮かんで、一人勝手に納得する。ホワイトタイガーが野生のうちで仲間を作れないように、珍種のアルマジロも周囲に溶け込みきれないということなのだろう。似ている見た目の生き物と必死でくっついてみて、でも『ジブンハチガウイキモノダ』って気づかされてしまう、孤独な生き物なんじゃないか、なんて、彼女からすればかなり失礼かもしれないけど。
(暇そう、どころか結構大変なんだな、あ?)
サイズ変化をループする緑色のアルマジロを横目に見ながら勝手な想像を広げていた脳内で、白虎が吠えた。慌てて寝起きのパソコンからワードファイルを引っ張り出して乱雑にキーボードを叩く。イキモノたちが僕の頭の中を泳いで、指先から飛び出して。頭蓋のてっぺんから痺れが下りてきては僕を加速させていき、感覚を奪っていく。チャイムもなにも聞こえない。
これだ、求めていたものは。どこからか知らないが走り出す歌とメロディに追われて僕も走る。もっと速く、はビウ・モッソというんだったか。この声が歌姫のものに変わる前に止まないように。どうか僕の指よ、もっと速く、速く。

サイトへのアップまで完了した後、ようやくチャイムが聞こえた。時計を見ると5限目はおろか6限目までが終了して、その次の授業開始を告げるものだったらしいことがわかった。この歌もきっといつもと大差ない評価をうけるのだろう、それでも僕は、自信をもってこの歌を世に送り出そう。すべての生き物たちに届くように。
ついと視線をずらすと、アルマジロがもぞもぞと動き始めるところだった。君もその一匹なんだぜ、なんて気障に呟いて、僕は立ち上がる。
『方舟に乗り遅れてしまったよ ぼくはもう滅ぶしかないのかな』
特別大きな音ではなかったけれど、真横から流れた僕のよく知る言葉と電子声に跳ね上がった。目をやった音源はアルマジロのスマートフォンで、画面にはさっき上げたばかりの静止画が映っていた。
「あ、ごめん」
視線に気づいたアルマジロは軽く頭を下げながらヘッドフォンのジャックを差し込んで音漏れをストップ。しかしその指が『1コメゲット』と動くのを僕は見ていた。
人気の少ない自習室、緑のアルマジロに背を向けた紅いニンゲンは心音の楽譜にstringendoが刻まれるのをただ呆然と見つめていた。
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